書籍

なんしょんな!!香川・PARTT
なんしょんな!!香川・PARTT
「行政の役割」水は誰のものか/人の渡らぬ橋、車の走らぬ道/広い家 他
1,200円(税込み)
有料会員のみ閲覧できます
なんしょんな!!香川・PARTU
なんしょんな!!香川・PARTU
「高齢者対策の処方箋」
1,200円(税込み)
有料会員のみ閲覧できます
なんしょんな!!香川・PARTV
なんしょんな!!香川・PARTV
「教育の危機」学校教育の危機/崩壊する家庭教育/的外れの企業内教育
1,200円+税
有料会員のみ閲覧できます
なんしょんな!!香川・Q&A BOOK
なんしょんな!!香川・Q&A BOOK
「Q&A」行政の役割/水問題/交通問題/時事
800円(税込み)
なんしょんな!!香川・Q&A BOOKU
なんしょんな!!香川・Q&A BOOKU
この本は、都村長生氏の政経塾「長生塾」とそのホームページに寄せられた質問に対し、都村氏が答えた内容をまとめたものです
800円+税
なんしょんな!!香川・Q&A BOOKV
なんしょんな!!香川・Q&A BOOKV
この本は、当ホームページに寄せられた質問に対し、都村氏が答えた内容をまとめたものです。
100円+税
なんしょんな!!香川・Q&A BOOKW
なんしょんな!!香川・Q&A BOOKW
この本は、当ホームページに寄せられた質問(2003年5月〜2007年3月)に対し、都村氏が答えた内容をまとめたものです。
100円+税
なんしょんな!!香川・Q&A BOOKX
なんしょんな!!香川・Q&A BOOKX
この本は、当ホームページに寄せられた質問(2007年5月〜2008年12月)に対し、都村氏が答えた内容をまとめたものです。
100円+税

POST長生塾スタートのお知らせ

なんしょんな Q&A詳細

  • 【209】 日本のエネルギー政策・・・かけ算のできない懲りない人々へ(2011.5.15) (高松市 会社員GN)
    今回の原発事故で「原発から自然エネルギーへ」という話が俄然強くなっています。以前から都村さんが数字を挙げて「自然エネルギーは量が少なすぎて原発の代替にならない」とおっしゃっていますが、自然エネルギーを主張する方々の意見には未だに納得できる「数字」がついておらず、しかし「脱原発」の風潮はますます強くなっていくことは明らかで、そういうニュースや評論を見聞きするたびに悶々としています。以前、このQ&Aの「地球温暖化とCO2」の話で都村さんが出された詳細な「根拠」を読ませていただいて頭の中がものすごく爽快になったのですが、この「自然エネルギーは原発の代替にならない」という話をもう一度スカッと解説していただけないでしょうか。「自分で考えろ」と言われるのは重々承知していますが(笑)、プロのエンジニア経験者の都村さんから考える道筋を教えていただけることを切望しています。よろしくお願いします。
  •  おっしゃる通り、今回の原発事故で「原発は恐ろしい」「それ見ろ、事故を起こして大変なことになったじゃないか」「核分裂をコントロールしようなんて“神をも恐れぬ”行為だ」等の世論が巻き起こり、その結果、「民意様」のご意向は「もう原発には手を出すべきでない、クリーンな自然エネルギーに転換すべきだ」という方向に向かいつつありますね。ここで言う自然エネルギーとは、太陽光発電やバイオマスエネルギー、風力発電等のいわゆる再生可能エネルギーのことを指すのでしょう。しかし、はたしてそれでいいのでしょうか? そもそも、だいたいそんなことが可能なのでしょうか?

     「自然エネルギーと原発のどちらが好きか?」と問われれば、もちろん私も自然エネルギーの方が好きです。しかし、ここで大切なことは「好き嫌い」ではなく、「では日本では自然エネルギーは量的に原発の代替となり得るのか?」ということをきちんと数字で押さえ、それをベースに合目的的に現実味のある日本の将来のエネルギー政策を考えることなのではないでしょうか? このまま感情に流されていくとエネルギー政策を根本的に誤り、国家百年の計を見誤ることになりかねない、というのが私の考えです。

     30年ほど前、私はアモルファス(非晶質半導体)太陽電池の開発に従事していたことがあり(Q128参照)、その当時、太陽電池を代表とする自然エネルギーがはたしてどれだけの量のエネルギーを生み出すのかを自分なりに試算したことがあります。その結果「自然エネルギーでは化石燃料や原発の代替にはとてもなり得ない。日本全体の消費エネルギーを自然エネルギーで賄うという解はあり得ない」という結論を得ました(ただ、一企業のビジネスとしては十分な規模にはなりますよ)。そして、その結果を今までのQ&Aで皆さんにお伝えしたことは周知の通りです(Q127128133参照)。

     試算と言っても中学生でもできる簡単な計算でしたから、私としてはその後、当然「自然エネルギーでは日本のエネルギーは賄えない」という大前提のもとに議論が始まるものと思っていたのです。ところが、その後現在に至るまでマスコミや識者、世論では「原発か、自然エネルギーか」という全く無意味な二者択一の議論が延々と繰り返されるばかりでした。そして極めつけは今回の原発事故後のヒステリックな議論でしょう。すなわち、「原発から自然エネルギーへ進むべきだ」という意見が以前にも増して噴出し、いよいよ大勢を占めつつあるのです。

     この一連の動きの大きな問題点は、そのほとんどの議論においてきちんとした具体的な数字が出てこないことにあります。私に言わせれば、こんな簡単な計算さえせず、「原発は危険だ」「もう自然エネルギーしかない」という現実味のない「好き嫌い」の感情論が何十年も続いているのがとても信じられない。そこで今回、改めて私の計算の根拠を説明することにしました。使った数字はすべて公的にオープンになっているものばかりで、30年前の古い数字は最新のものに改めてあります。計算も単純なかけ算と割り算だけですから、誰にでもおわかりになると思います。賢明な読者の方々には言わずもがなの説明と計算ですが、改めてご確認ください。

    全国すべての家の屋根に6畳の太陽電池パネルを載せると、年間500億kwhの電力が得られる

     まず、多くの人が最も可能性があると思っているであろう「太陽光発電」について、概略の数字を押さえていきましょう。数字とは、具体的には「量」と「金」です。この2つを押さえさえすれば、エネルギー政策の進むべき方向を決めるのはそう難しくないからです。では、その前にちょっと、太陽光発電の仕組みを簡単に説明しておきます。太陽光発電というのは、
    (1)太陽光がシリコン等の半導体に当たると、半導体中の電子が太陽光のある波長の光だけを吸収して励起し(動き)、電子が移動するから電流が流れる。それを取り出して使えば発電になるのではないか、というものです。太陽光が強ければ多くの電流が流れ、弱ければ流れる電流は少ない。もちろん太陽光のない夜は発電できません。
    (2)太陽光を受けた時の電子の励起の度合い(バンドギャップエネルギー)は物質(半導体)によって異なり、最も大きく励起する半導体はシリコンです。
    (3)ただし、太陽光のすべてが発電に使えるわけではない。最も効率の良い100%単結晶シリコンでも、太陽光エネルギーの25%前後を電気エネルギーに変換するのが理論上の最大値であり(物質固有の特性でバンドギャップエネルギーは決まっている)、実用レベルとなると種々のロスが出るため、変換効率15〜20%が限界とされているのです。
    という概要をまず理解しておいて下さい。では、まず「量」の話から入ります。太陽光発電ではどれだけの発電量が期待できるのかを計算してみましょう。

     独立行政法人産業技術総合研究所(産総研)の資料によると、太陽光は電気にすると1m2あたり1000wのエネルギー(100wの電球を10個つけるだけのエネルギー)を持っているとされています。ただし、これは晴天の正午、つまり最も強い太陽光が当たっているピーク時を基準にした数値ですから、曇りの日や太陽光の弱い北日本では太陽光エネルギーの量はもっと少なくなります。しかし、計算を簡単にするため、今回はその「1m2あたり1000w」というピーク時の数値を基準値として使うことにします。太陽光発電は、その「1m2あたり1000w」の太陽エネルギーの一部を電気エネルギーに変換して使おうとするものです。では、技術的に太陽エネルギーのどれだけを電気エネルギーに変換できるのか?

     シャープの最新モデルの太陽電池「屋根置き型スタンダードタイプND-153AW」のパンフレットによると、「変換効率15%」と書かれていますから、現在の最高レベルの太陽電池で、太陽エネルギーの15%が電気エネルギーに変換できるということになります。つまり、降り注ぐ1m2あたり1000wの太陽エネルギーのうち、現在の実用化された技術ではその15%、150wが電気に変換できるということです。先に「最も効率の良いシリコンを使っても実用レベルでは太陽エネルギーの15〜20%の変換が限界」と紹介しましたが、現在の「15%」という技術水準はすでに物理的に限界に近いレベルにまで達していることがわかります。私が開発に従事していた30年前は熱交換率が1〜2%だったことから考えると、隔世の感があります。いずれにしろ、日本の気象条件下(太陽光の強さ)における現在の太陽光発電の能力は、太陽光のピーク時換算で「1m2あたり150wの発電ができる」と考えてよいでしょう。

     では、太陽光発電で生み出すことのできる年間発電量はどれだけになるのか? 計算方法は簡単です。「1m2あたり150w」ですから、これに「太陽電池パネルの面積」と「発電できる時間(1年分)」をかければいいだけですね。まず、面積を考えてみましょう。計算を簡単にするために「全国すべての家の屋根に6畳の太陽電池パネルを載せたら面積はどれだけになるのか」を計算の基準面積とします。今、全国で約4900万世帯(2005年国勢調査)あると言われていますが、マンションや団地、アパート等「一つ屋根の下」に複数の世帯が住んでいるところには世帯数分のパネルを載せられませんから、エイヤで全世帯の70%がパネル積載可能世帯(屋根のある家)だとしましょうか。つまり、「日本全国3500万軒のすべての屋根に6畳の太陽電池パネルを載せた」と仮定しましょう(それでもほとんどあり得ない仮定だというのはおわかりでしょうが)。6畳は10m2くらいですから、3500万軒の屋根に6畳のパネルを載せた総面積は、
    10m2×3500万軒=3億5000万m2
    となります。

     次に、日照時間を計算しましょう。先ほど「ピーク時には1m2あたり1000wの太陽エネルギーが降り注いでいる」と言いましたが、日中、常にこれだけの強さの太陽光が注いでいるわけではありませんね。朝や夕方の太陽光は弱いし、曇りや雨の日はもっと弱くなり、当然夜はゼロです。また、沖縄では太陽光が強くて日照時間も長いけれど、北海道では弱くて時間も短い。それらをすべて差し引きして平均すると、通説によれば今の日本ではピーク時換算で1日約3時間分の太陽光が注いでいるとされています。従って、ピーク時の強さで太陽光が当たっている時間は年間で、
    3時間×365日=1095時間
    となります。計算を簡単にするために「約1000時間」としておきましょう。

     これらをかけ合わせると、計算上、日本における太陽光発電で年間に生み出すことのできる発電電力量が出てきます。すなわち、1m2あたり150wの発電ができるわけですから、総発電電力量は、
    150w×3億5000万m2×1000時間=525億kwh(キロワットアワー)
    となります。およそ「500億kwh」、この数字をしっかり覚えておいて下さい。つまり、「日本中の家の屋根すべてに6畳の太陽電池パネルを載せるというむちゃくちゃなことをやれば、1年間に500億kwhの電力が得られる」というのが太陽光発電の能力の上限だということです。ここまで、数値は大きいけれど、どれも中学生でもできる簡単なかけ算ですから、皆さん問題なくご確認いただけたと思います。

    太陽光発電の発電電力量はあまりに小さすぎる

     では、その「500億kwh」という発電電力量で、日本全体の総発電電力量のうち、どれくらいをカバーできるのか? 電力事業連合会の資料によると、直近の日本の総発電電力量は9600億kwhと書かれています。すると、太陽光発電の「500億kwh」はその5.2%になる。全国3500万軒すべての屋根に6畳の太陽電池パネルを載せるというおよそ不可能なことをやっても、太陽光発電では日本の総発電電力量のわずか5%程度しかカバーできない。また、後述しますが、日本の総消費エネルギーのうち約23%が電力の形で使われていますから、太陽光発電では総消費エネルギーのわずか1.2%しかカバーできない、ということにもなります。これが太陽光発電の現実なのです。

     ちなみに「全国3500万軒すべての屋根に6畳の太陽電池パネルを載せる」という仮定自体が非現実的ですから、これを多少現実的な数字に置き換えてみると、太陽光発電の発電電力量の可能性はもっと下がることになります。太陽電池パネルを屋根に設置できる家が現実的にどれくらいあるのかを推定してみると、例えば広くて資金余裕のある世帯の象徴の一つである「ピアノの普及率」と感覚的に似ているのではないかと考えられます。日本の世帯あたりのピアノの普及率は25%くらいですから(世界的に見てもこれは異常に高い。ヤマハの川上源一さんが戦後ひたすらピアノを売りまくった結果です)、仮に太陽電池パネルがこの数字まで普及するとすれば、先の数字(5.2%)の4分の1くらいが現実的なのではないでしょうか。すると、現実的に見れば日本の太陽光発電は総発電電力量の1.3%(総エネルギー需要の約0.3%)しかカバーできないことになります。

     では、太陽光発電信奉者の夢である「原発だけを太陽光発電に置き換える」とするとどうなるか? を考えてみましょう。原発の発電量は、直近では総発電電力量(9600億kwh)の30%程度(電力事業連合会資料より)ですから2900億kwhくらいあります。従って、500億kwhでは17%しか置き換わらない。現実的(ピアノの普及率換算)にはさらにその4分の1の4.3%程度しかカバーできないことになる。今、日本には稼働中の原発が54基ありますが、太陽光発電がおよそ考えられる極限まで普及したとしても、その4.3%ですからわずか原発2〜3基分。残り50数基の原発は、依然、稼働し続けなければならないのです。これが現実なのですよ。

     ここまでを整理してみましょう。太陽光発電というのは、
    (1)「全国3500万軒すべての屋根に6畳の太陽電池パネルを載せる」というおよそ不可能なことをやっても、
    ・日本の総発電電力量の5%程度(総エネルギー需要の1%強)しかカバーできない。
    ・原発の総発電電力量の17%程度しかカバーできない。
    (2)現実的に太陽電池パネルがピアノの普及率まで達したとしても、
    ・日本の総発電電力量の1%程度(総エネルギー需要の0.3%)しかカバーできない。
    ・原発の総発電電力量の4%程度しかカバーできない。
    ということになります。

     この事実が、太陽光発電を語る上での絶対的な前提になるのです。こんな中学生でもできる計算さえすれば、「原発をやめて太陽光発電に切り替えるべきだ」という意見がいかに現実を無視した空論であるか、誰にでもわかるはずです。ところが、未だにマスコミや識者、政治家、役人・・・あらゆるところから太陽光発電救世主論が後を絶たない。彼らのメンタリティは、私にはとても信じられません。私の結論では、この人たちは「かけ算ができないのだ」ということになってしまいますが・・・。

    太陽光発電には効率を上げる余地がほとんど残っていない

     それでも「国を挙げて技術開発に取り組めばもっと効率が上がるはずだ」と言う人がいますが、それもほとんど不可能です。なぜか? 先ほど、太陽光発電の総発電量を「150w×3億5000万m2×1000時間=525億kwh」という式で求めましたが、それぞれの項目別に効率アップの可能性を見てみましょう。

     まず、最初の「1m2あたり150wの電力が得られる」という数字は、先述したようにもうほとんど改善の余地がありません。半導体のバンドギャップエネルギー(太陽エネルギーの何%を電気エネルギーに変えられるか)は物質ごとに決まっていて、その最も効率の良いシリコンのバンドギャップエネルギーは25〜26%であり、それ以上は物理的に絶対に上がりません。これを変えようというのは、それこそ「民意様」の言う“神をも恐れぬ行為”なのです。

     しかも、もし仮にこの数字をあらゆる環境を整えた実験室レベルで達成できたとしても、これを製品(太陽電池)として実用化すると必ず効率が落ちます(ガラスをはじめとする付属品がたくさんくっついてきますから、電子が動くたびに必ずロスが出るのです)。私の経験から推測すれば、シャープが発売している最新の太陽電池パネルの「15%の効率」というのは、実験室レベルではおそらく20%近く出ていると思います。すると、実験室でさらに技術を追求して限界の25〜26%近くまで達することができても(これはもうほとんど神の領域ですよ)、せいぜいあと2〜3割程度しか改善できないと考えるのが妥当でしょう。

     ちなみに、シリコン以外の半導体を重ねて多層型の太陽電池にして、シリコンで拾えない光の波長を吸収して効率を上げるという方法も研究されているようですが、実用化となると層を重ねることによって必ず物理的ロスが出ますから、これも15〜20%に達すれば御の字だと思います(Q133参照)。いずれにしろ、実験室レベルの理論値はいくらか上げることができるかもしれませんが、実用レベルでは現状の2割程度の効率アップ、変換率が20%まで行けば奇跡に近いと申し上げておきます。つまり、この数字の増える可能性は微々たるものなのです。

     次に、太陽電池パネルの普及総面積である「3億5000万m2」も、増やす余地がないことはおわかりでしょう。日本の人口は減少していますから、家(屋根)の数はむしろ減少の方向に向かうのではないですか? ちなみに、屋根だけでなく平地にも敷き詰めればいい、と思うかもしれませんが、それも非現実的です。先頃「今回の津波で瓦礫の山になった海岸線は危なくて人が住めないのだから、そこを全部太陽電池パネルで埋め尽くせばいい」と言った有名な(私に言わせればバカな)識者がいましたが、それを聞いた私は開いた口がふさがりませんでした。計算してみましょうか?

     今回津波被害を被った海岸線は総延長がおよそ200km、幅が奥行き3kmくらいだと言われています。ただし、リアス式海岸なので太陽電池パネルを置けない場所(山林等)が多く、また平地に置いても間道は必要だし、蓄電や送電をするバックヤードも必要ですから、パネルを設置できる面積を全体の約半分だとしましょう。すると、太陽光パネルの設置面積は、
    200km×3km×0.5=3億m2
    これを先の式に当てはめると、年間総発電電力量
    150w×3億m2×1000時間=450億kwh
    となりますね。福島第一原発全基の年間発電量を調べてみると410億kwhとありましたから、それとほぼ同じくらい。つまり、福島県から宮城県、岩手県あたりのすべての沿岸平野部を太陽電池パネルで埋め尽くしても、あのわずかな土地だけを使った福島第一原発と同じだけの電力量しか得られないのです。

     そもそも皆さん、200km以上にわたって太陽電池で埋め尽くされた平野なんて常識的に想像できますか? 本来、豊かな自然があり、人が住むべき広大な平野をプラスチックのパネルで埋め尽くし、パネルの下は太陽光が当たらず草木も生えないじめじめした土地が広がる・・・。地球に優しいクリーンエネルギーとやらが巨大規模の自然破壊をしているという、矛盾きわまりないグロテスクな光景ではありませんか? いずれにしろ、豊かな自然があり人の住める平野にわずかな電力しか生み出さない太陽電池パネルを敷き詰めるという発想自体、あまりに効率の悪い、また豊かさを損なう行為であることを知るべきです。こんなことを言い出す輩の顔が見たい、とは思いませんか?

     3つ目、ピーク時換算の日照時間の「1000時間」も、晴天の日が極端に増えるとは考えられませんし、日差しが極端に強くなることも考えられませんので、数字が増える可能性がないことは言うまでもありません。従って、これらすべての要素において太陽光発電の効率を飛躍的に上げるという余地はほとんどない、ということがおわかりいただけたと思います。さらに言うなら、あり得ない仮定ですが、もし神様が太陽エネルギーを100%電気エネルギーに変える夢の半導体をプレゼントしてくれたとしても、変換効率がシリコンの理論限界値25%の4倍になるだけですから、先の現実的な数字の4倍、すなわち日本の総発電電力量の5%、原発の総発電電力量の17%程度にしかならない。何度も申し上げますが、太陽光発電というのはそれくらいのポテンシャルしかないのです。

     これは、モノの道理から考えても当然のことでしょう。我々の今の主エネルギー源である石油や石炭という化石燃料は、太古の動植物の死体等に何億年間にわたって降り注いだ太陽エネルギーが蓄積されたものだと考えれば、たかだか1年程度太陽光を集めたくらいで何億年分の蓄積エネルギーを代替できると考える方がおかしいのです。もし太陽電池の発電量を1億年も貯めておける装置が開発されれば、私も1億年後に太陽光発電が化石燃料の十分バックストップ可能なエネルギーとなることには賛成しますよ??

    バイオマス発電や風力発電はさらに論外だ

     ちなみに、その他の自然エネルギーについてはさらに論外であると申し上げておきます。例えば、当時(30年前)もバイオマスによる発電が一時もてはやされましたが、その中で、カリフォルニア沖のジャイアントケルプという1日に50cmも伸びて全長数十mにも達するコンブのような海草から石油を作る、という話を聞いて、私はこんな概算をしたことを覚えています。幅1kmの筏を沿岸に浮かべて日本列島を丸ごと囲い、その下にジャイアントケルプを育て、それを刈り取って石油にしたとすれば、その結果はどうなるか? 試算の結果は「日本の総エネルギー需要の0.1%くらいにはなるだろう」というものでしたよ。「コンブの海の中をどうやって船が通るんだ?」と笑い話になりましたが。太陽光発電によるエネルギー供給量が日本の総エネルギー需要の1%くらい(前出の計算参照)でしたから、これはその一桁下の数字です。また、風力発電に至ってはさらにそのまた一桁下の発電量しか得られないのです。その上、風力発電機の周囲1kmくらいはうるさくて人が住めないのですよ。この狭い国土のどこでブンブン風車を回すというのですか?

     いずれにしろ、日本のエネルギー政策を語るなら、自然エネルギーが化石燃料を量的に代替するエネルギー(私の造語で「バックストップエネルギー」と言います)になることはない、という事実からスタートしない限り、現実的な解は絶対に得られないと知るべきです。その現実的な数字を押さえずに感情論で「原発をやめて自然エネルギーに切り替えろ」と言う意見は、すべて机上の空論でしかない。しかし、誰もこんな簡単な計算さえせず、その空論が大手を振ってまかり通っている現状に、私はあきれかえっているのです。簡単なかけ算すら自分ではじこうともしない連中に代替エネルギー等語る資格などない、と申し上げておきます。

    太陽光発電は原発の20倍以上もお金がかかる

     以上で「太陽光発電のポテンシャル」は十分ご理解いただけたと思いますが、次に、もう一つ大切な「お金の話」を見ておきたいと思います。すなわち、「太陽光発電を推進すると、いくらお金がかかるのか? それは原発に比べて高いのか、安いのか?」という話です。これがない限り、話は一歩も前に進みません。だって、そのお金を払うのは我々なのですから。

     先述したシャープの最新の屋根置き型6畳パネルの価格は、設置料込みでおよそ100万円だそうです。これを全国3500万軒の屋根に載せるとなると、単純計算で35兆円のお金がかかることになります。これを、原発にかかるお金と比べるとどうなるか? 先ほど、「太陽電池パネルを3500万軒の屋根に載せると500億kwhの電力が得られる」という計算をしました。福島第一原発全基(6基)の総発電電力量が410億kwhですから、エイヤで原発7基分とほぼ同じ発電量だとしましょう。原発は1基2000億円くらいかかると言われていますから、7基で1兆4000億円になります。すると、同じ500億kwhの電力を得るのに原発が1兆4000億円かかるところ、太陽光発電は35兆円、何と25倍ものお金がかかるのです。

     「太陽光発電は設置したらあとはお金がかからないが、原発は核廃棄物処理等を含むランニングコストがかかり続ける」と言われるかもしれませんが、この数字はランニングコスト云々のレベルをはるかに超えています。さらに言えば、原発の耐用年数は50年くらいですが、太陽光発電パネルは要するに吹きさらし状態で置いておくわけですから、10年もすれば必ずどこかが傷んできますし、20年も経てば「買い換え」が必要になる。そこでまた35兆円の投資が必要になる。いずれにしろ、同じ電力量を確保するのに太陽光発電は原発の20〜30倍以上の初期投資がかかる、ということがおわかりいただけたと思います。

     併せて、話をわかりやすくするために個人が太陽光発電パネルを購入した時の経済性も考えてみましょう。現在、東電の電気料金は1kwhあたり約22円です。これを、100万円で太陽光発電パネルを購入して太陽光発電に切り替えたとすると、年間1000時間分の電力が「東電への支払い」から「無料」に切り替わるわけですから、毎年22円/kwh×1000時間=2万2000円ずつ節約できることになる。つまり、100万円を投資して毎年2万2000円ずつ回収できるという話です。これを投資案件とみれば、DCFにすれば2%くらい(修理や買い換えを考えると実質的には1.5%くらいでしょう)、これでは投資効率が悪すぎる。だから普及しないのです

    太陽光発電普及は市場原理に任せ、国策としては原子力開発に集中すべきだ

     では、値段がいくらまで下がれば東電の電力料金の「22円/kwh」と競争できるのか? DCF8%で回るならユーザーとして投資に対して十分なリターンがとれると考えられます。そうすると、年間2万2000円の回収額があるわけですから、DCF8%で回すためには投資額を約30万円に抑えればよい、という話になります(2.2×(1+1/0.08)≒30、ただし、パネルが永遠に劣化せずに持つという前提ですが。詳しく知りたい方は長生塾での現在価値法の講義を思い出して下さい)。すると、今100万円する太陽電池パネルが30万円くらいになれば、太陽光発電は既存の発電方式に対して競争力を持てることになります。私はこれくらいのコストダウンは、大量生産ができるようになれば何とか可能ではないかと思っています。それなら、太陽光発電の普及は企業努力に任せておけばいいではありませんか。そして、高くても買いたい人がいれば買えばいいし、安くなってユーザーが補助金なしで買えるようになれば自然に普及していけばよい。今は100万円と30万円の差の70万円を誰かが強制的に(補助金等)埋めている・・・そんな社会的ロスを無理やり強いるよりは、その金を他のバックストップエネルギーの開発に回した方がずっと健康的だとは思いませんか? つまり、太陽光発電の普及は市場原理に任せておけばいい、というのが私の意見です。

     繰り返しますが、太陽光発電は「原発の20倍以上の初期投資をかけても、現実レベルで原発の総発電電力量の4%程度しかカバーできない」というものなのです。そして技術的効率改善の余地もほとんど残っていない。そんなものに国のエネルギー政策の切り札として巨額の税金を投入することは、どう考えても得策とは思えません。それより、安全な原発を目指す方がはるかに可能性がありますよ。例えば、今回の事故を教訓に今の軽水炉の安全性を高めるとか(方法はすでにわかったのですから・・・Q205参照)、プルトニウムが危険だというならプルトニウムを廃棄物として出さない高速増殖炉の研究を進めるとか、あるいは高速増殖炉に使うナトリウムが危険だというならナトリウムを使わない溶融塩方式の研究を進めるとか、原子力の技術開発の可能性は無限に広がっているのです。

     極端な話ですが、30兆円以上もかけて津波被害に遭った東北の沿岸部200kmを太陽電池で埋めるなどというバカな発想をするくらいなら、200kmの海岸線に10km置きに1000年に1回の地震と津波にも耐えられる原発を20基作ればいい。加えてその中心に世界に冠たる原子力研究所を併設し、世界中から優秀な研究者を集めて最新の原子炉の開発をやる方が、はるかに安く、はるかに大きな成果が上がると思います。そして、政府は世界に向かってこう宣言するのです。

     「日本は今回の災害には決して負けない。我々の将来のあるべき姿は技術立国しかない。その夢の達成のために、不幸にも起きてしまった今回の原発事故を天佑として捉え、その経験を生かし安全な原子力発電技術の開発に国を挙げて取り組みたい。そして、日本は原子力技術開発分野で世界のリーダーシップをとり、世界のエネルギー不足解消に貢献したい。我々は、技術上のミスにより生じた損失は、より高い技術の完成により取り返すべきだと考える。どうか各国の研究者は日本に集結して下さい」と、堂々と宣言すればいいのです。それが政治のリーダーシップというものですよ。

     いずれにしろ、国策として、30兆円以上もかかって日本の総電力需要のわずか4%しか賄えず改良の余地も極めて少ない太陽光発電に向かうのか、数兆円で日本の電力需要のほとんどすべてを賄えるポテンシャルを持ち、技術進歩の余地がいくらでもある原子力発電に向かうのか、答は言わずもがなでしょう。こんなことは、すべてオープンになったデータを使って中学生でもできるかけ算と割り算をやって、それをベースに合目的的に考えれば自ずと出てくる答なのです。それさえやらずに「原発をやめて自然エネルギーに転換すべきだ」とヒステリックに声高に叫ぶ人たちの頭の構造は、いったいどうなっているのでしょうか。素人ならまだしも、メディアで発言する責任ある立場の方々には「恥を知れ!」と言いたい。

     以上、少し長くなりましたが、ここまでを一旦まとめておきますと、
    (1)太陽光発電等自然エネルギーで原子力発電を置換しようという話は、数字による根拠を示さない定性的な好き嫌いの議論をやめるべきだ。数字の大小を客観的に比較すれば、日本のとるべき今後のエネルギー政策は明々白々である。
    (2)太陽電池は、エネルギー源として化石燃料のバックストップエネルギーとはなり得ない。どう楽観的に見ても(日本の総世帯数の4分の1の屋根すべてに太陽電池パネルを載せたとしても)日本の総発電電力量の1%しか確保できず、日本のエネルギー政策の起死回生の一手には決してなり得ない。
    (3)その場合でも、太陽電池による供給可能なエネルギー量は原発2.5基分にしか相当せず、日本中を太陽電池パネルで覆い尽くしても今の福島第一原発発電量にも遠く及ばない。
    (4)かつ、太陽光発電の初期投資額は、同じ電力量を得るための原発の初期投資額の20倍以上もかかる。
    (5)従って、infeasibleな“青い鳥”を追い続けるより、reallityのある原発の安全性確保のための技術開発に国家として投資すべきである。
    (6)太陽電池の普及は市場の競争原理に任せればよい。今の価格の3分の1にコストダウンできた時点で火力発電との競争力を持ち始め、結果、総発電量の1%くらい(それでも電気料金換算で年間2000億円のマーケット)のシェアを獲得できよう。
    ということになります。

    エネルギーの使い途の優先順位をつけねばならない

     さて、ここまでは「発電」ということに絞って太陽光発電の現実を数字で見てきましたが、ここから、電力も含む日本のエネルギー全体の進むべき方向性、すなわち日本のエネルギー政策について少し考えてみたいと思います。多くの人は、電気、ガソリン、軽油、灯油、プラスチック製品、化繊・・・等々を別々のものだと思っているようですが、それらはすべて、エネルギーという観点から見れば同じ範疇に入ってきます。

     つまり、資源のない日本では、限られた量のエネルギー全体を電気やガソリン、軽油、灯油、プラスチック製品、化繊等々が取り合っていると考えればよい。そして、日本は余剰エネルギーのないギリギリの状態で動いているため、どれかを多く使えばどれかがショートするゼロサム構造にあるのです。加えて、このタイトな傾向は長期的にますます厳しくなっていくと思われます。すると、限られたエネルギーを何に優先的に使うのか、すなわちエネルギーの使用用途に優先順位をつけなければならない。この発想が、日本のエネルギー政策のスタートラインとなるべきなのです。ただし、初めに断っておきますが、CO2の排出云々はこの優先順位設定には全く関係ありませんよ。CO2などどんどん出せばよいのです。そんな流言飛語に惑わされてはいけません(Q175参照)。

     最初に、現在の日本の総エネルギー需要と、供給エネルギー源の内訳を大きく掴んでおきましょう。エネルギーの単位は一般的に「ジュール」で表されますが、発電のエネルギーの「kwh」は、1kwhがおよそ360万ジュール(化学工業便覧より)ですので、発電量をジュール換算して比較してみると、
    (1)日本の総エネルギー需要=1500京ジュール(資源エネルギー庁資料より)
    (2)日本の総発電電力量=9600億kwh=346京ジュール(電力事業連合会資料より)
    となってきます。

     これによると、発電電力エネルギーは総エネルギー需要の約23%、すなわち日本では使うエネルギーの約4分の1を電気エネルギーの形で使っているのです。70%以上を占めるそれ以外のエネルギー源は、ガソリンや軽油、灯油をはじめとする石油系燃料と、石油化学製品を作る原料の石油ナフサ、そして発電以外の石炭、天然ガス等、ほぼすべてがいわゆる化石燃料エネルギーです。さらに、発電エネルギーの70%近くが重油や天然ガス、石炭を中心とした化石燃料を使った火力発電ですから、日本のエネルギーの大半が化石燃料であり、中でも石油が圧倒的な中心であることがわかります。改めて言うまでもありませんが、日本の最も貴重なエネルギー源は「石油」だということです。

     ただし、一口に石油と言っても、成分によってその用途はいくつにも分かれています。理科の時間に習ったと思いますが、石油の留分は炭素の数で分類されます。炭素の数が1つ、つまり一番軽い留分がメタン(C1)、続いて炭素の数が2つのエタン(C2)、3つがプロパン(C3)・・・このあたりがいわゆる「天然ガス」ですね。それからC4、C5...C40...C50...とだんだん重くなっていきます。C5〜C9あたりまでが「ナフサ」で、ガソリンと石油化学製品(プラスチック等々)の原料になります。それより重いのが灯油、さらに重いのが軽油、そして最も重いのが重油です。石油というのはそれらがすべて混ざり合ったものだと考えてください(ちなみに重油より重いものが炭素の固体である石炭だと思えばよいでしょう)。

     では、このうち最も貴重なものは何か? それは明らかに「ナフサ」なのです。ナフサからできる石油化学製品はプラスチック製品から合成繊維製品、合成ゴム製品、医薬品等々多岐にわたり、私たちの日常生活に関わるほとんどすべてのものがナフサから生み出されていると言っても過言ではありません。もう一つ、ガソリンもナフサを改質して作ります。ナフサがなくなれば車は動かないのです。つまり、ナフサがショートすれば我々の現在の生活物資のほとんどに支障をきたすと考えてよいでしょう。ただ、ガソリンはまだ電気自動車等でいろいろ代替が利きますが、石化(石油化学)原料は今のところナフサ以外にあり得ない。従って、私たちの豊かさを維持するために最も優先されるべきエネルギーの使用用途は「石油化学製品を作るエネルギー」であり、すなわち石油の留分におけるナフサが最も貴重となるのです。

     しかし、ナフサ留分は石油の中に20%くらいしか含まれていません。それでは絶対量がとても足りないため、今は可能な限り重油を水素で分解(クラッキング)して“ナフサもどき”を作って何とか間に合わせているのです。その原理を簡単に言えば、「C30の重油を5つに分解すればC6のナフサが5つできる」ということだと考えればよいでしょう。この分解をするのに大きなエネルギーが必要になるのですが、とにかくナフサが不足しているため、それをやらざるを得ないのが現状なのです。そして、この傾向は石油が枯渇してくる将来に向けてますます強くなってくると考えられます。

     ちなみに、重油以外の留分等をナフサにするのは非常に難しい。例えば石炭は固体であるため、液化して分解するのに非常に大きなエネルギーが必要になり、効率的ではありません。逆に、ガスを重合してナフサにするという方法は理論的には可能なのですが、これも大きなエネルギーが必要になる上、化学反応的にも困難であるため、一部を除いてほとんどできない。また、重油より軽くナフサに近い灯油や軽油はそれ自体の用途(燃料やディーゼルオイル)として不足していることもあって、ナフサに回す余裕がない。もちろん、将来的には灯油や軽油に変わるエネルギー(例えば原子力等)を開発し、それぞれナフサに回せるようにすればいいと思いますが、現状ではとても余裕がない・・・等々。

    原発しか解はない!

     いずれにしろ、日本では今、石油の中で最も貴重なナフサは量的にギリギリの状態にあり、それを石油化学製品とガソリンが取り合っている状態にあります。そして、この傾向はずっと続くでしょう。そういう意味では、ガソリン車を電気自動車に切り替えて浮いたナフサを石化原料に回すというのは一理あると思います(エネルギー効率は電気自動車よりガソリン車の方がいいのですが、そんなことは言ってられない)。ただし、それには絶対条件があります。電気自動車は電気を食うわけですから、それが普及すると発電量を飛躍的に増やさなければなりません。その発電にまた、ただでも貴重な石油を使ったのでは(火力発電)、エネルギー全体として何をやっているのかわからなくなる。石油不足を補うために石油を消費するのか? という話になってくるからです。従って、石油に代わるバックストップエネルギー源の確保、すなわち原発による発電量増が不可欠になってくるのが論理的帰結なのです。

     よく「CO2排出の少ないクリーンな電気自動車を普及させるべきだ」と主張しながら、同じ口で「原発反対」を叫んでいる人がいますが、根本的な自己矛盾に陥っていることに気付いていないのでしょうか。蛇足ながら、化学繊維でできた高い服を着て厚化粧で(化粧品も石油製品ですよ)燃費の悪い高級車で乗り付け、「原発を自然エネルギーに切り替えろ」と主張している国会議員のおばさんたちが何人もおられますが、これも自己矛盾に気付いていない。もし彼女たちが毎日木綿や麻の服を着て、素顔で自転車か馬車に乗って国会に出て来ているのなら、少しは説得力がありますが・・・。

     では、発電のエネルギー源は将来どう確保すべきなのか? 前述のごとく、今の日本では原発では総発電量の30%しか供給できません。従って、これから増えるであろう電力需要(電気自動車)には、
    (1)コストの安いものから使っていく。
    (2)まずナフサに回せないもの(他に使い途のないもの)から発電に回す。
    (3)最後の不足分は原発の増設でカバーする。
    というポリシーで対処すべきだと思います。具体的には安価な順、ナフサへの転用性の低い順に、水力>残重油(ナフサに転用し尽くした後の重油)>原発>天然ガス>石炭の優先順位で発電していくことになるのでしょう。つまり、まず安価な水力発電をフル稼働し、次に重油を最大限分解し石化に回したあとの残重油を焚く。続いて原発はフル稼働、天然ガスも使い切る。それでも不足するので最後はコスト高ではあるが可採年数の長い石炭で発電のバランスをとることになるのです。

     ここまでをまとめますと、
    (1)日本のエネルギー政策は、エネルギーの使い途の優先順位をつけないといけない。
    (2)最優先されるべきは石油化学製品の製造であり、それに使えるナフサの確保を進めるべきだ。
    (3)そのために、石油は最小限の軽いもの(ガス)と重いもの(重油)だけを燃料(発電も含む)として燃やし、加えて発電は石油から原子力への移行をさらに進めるべきだ。
    (4)また、ナフサを少しでも多く石油化学に回すためにガソリン車を電気自動車に切り替えるのはよいが、電気自動車による電力需要の増加にはここでも原子力発電で賄うべきだ。
    というのが私の意見です。

     どうでしょう、具体的なエネルギーの優先順位を論ずるためには、少なくとも「量」と「お金」の問題に関して具体的な数字を出して議論しなくてはならない、という私の主張がおわかりいただけましたでしょうか? そして、日本の政治に一番欠けているのがこの議論なのです。好きだ、嫌いだ、と言っている限り、結論は永久に出ないのですから。従って、私の描く日本のエネルギー政策の中で、太陽光発電等の自然エネルギーの占める役割は微々たるものになります。国の将来の根幹たるナフサの確保にはほとんど貢献できる可能性がないのですから。自然エネルギーの将来はマーケットに任せておけばよいのです。